2024.1.14『京大短歌』29号が刊行されました。今号よりBOOTHにて通販・電子書籍の販売も行っています!例年通り葉ね文庫・京大吉田南ショップ、ショップルネなどでも順次販売予定です。

歌会のお知らせ

☆1,2月の歌会日程をお知らせします。

*京大短歌 1月の歌会日程*
1/22(月) 19:00~オンライン歌会@zoom
1/25(木) 18:45~対面歌会@京大

*京大短歌 2月の歌会日程*
2/2(金) 18:45~対面歌会@京大
2/9(金) 12:00~ランチ歌会
2/21(水) 19:00~オンライン歌会@zoom

*イベント出展予定*
5/19(日)東京文フリ


「歌会の記録」より過去の歌会に提出された歌がご覧いただけます。

☆現在京大短歌では新会員を募集しています。
大学生・大学院生・短大生・専門学校生であれば大学・学年・年齢・経験問わずどなたでも入会できます。現役会員に声をかけてください。

興味をもたれましたら本ページ下部の「お問い合わせ」よりご連絡ください。
歌会の場所、形式などの質問も気軽にどうぞ。

歌会への参加も可能です。見学も可能です。

会員誌『京大短歌』28号

京大短歌 28号

『京大短歌』28号が完成しました。 現役会員22名とOB・OGを合わせた43名の作品を掲載。特集として『すずめの戸締まり』詠、いちごつみ、エッセイ「わたしと短歌」を収めた170ページの一冊です。 通販をご希望の方は「お問い合わせ」ページに記されたメールアドレス、あるいはフォームにてご一報ください。

お問い合わせ

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一首評

水鳥の潜りしのちをたゆたえる海はおそろし音立てなくに
花山周子 『風とマルス』

 実際のところ、祭りの祝祭感がもっとも高まるのは、祭りそのものが行われるときよりも、その祭りの前日の準備、さらに言えば準備が完成する間際であろう、ということは容易に想像がつく。つまり、祭りが始まりつつあり、それを完成させるのが我々なのだという暗黙裡の連帯感は高揚をもたらすのだが、その瞬間こそがもっとも「祭り」的なのである。完成されていくと同時に現実味を帯びつづける祭りとその予感の膨張は、祭りそのものを越えてゆく。祭り以上の祭り。
 ここで注目すべきは、「つつある」という状態である。祭りが完成し「つつある」という状態は、祭りの準備に祭り以上の祝祭感をもたらし得る。
 掲出歌において、作中主体が「おそろし」と感じたのは、もちろん水鳥が潜った瞬間ではなく「潜りし後」であるから、ここにはタイムラグが存在する。水鳥が潜る瞬間を作中主体が観測する。水鳥は水中で狩りを行うためしばらくは水上に姿をみせない。水鳥が水中にいる間、作中主体は海を見つづける。その時間のあまりの長さに不安が募りはじめる。不安はやがて水鳥が潜った後も無音で揺蕩いつづける海へと対象を移す。ここで、海が外見上は「たゆたう」という状態を持続していることが、反転して水鳥を呑み込んだ後の海の内部の変化をもたらしている。それは事実上の変化ではなく、認識上の変化であるが、作中主体の認識の変化は読者の認識をも変化させ、水鳥を含んだ海の内部がどこか蠢いているように感じられる。ここで作中主体及び読者が感じている不安は、海という圧倒的な存在に対する畏怖である。この歌は、古来畏怖の対象とされてきた海の雄大さを、描写によってではなく、認識の変化によって伝達している。そして、この伝達をもたらしているのが、前述した「つつある」という状態である。つねに揺蕩いつづける海が、おそらくそれまではただの景色として存在していた海が、水鳥を呑み込んでなお無音で揺蕩いつづけていることによって、畏怖の対象としての存在感をもち「つつある」。そして、その間の海の存在感は、私たちが見たり想像したりする海を超えているはずだ。やがて水鳥が水上に姿を現せばこの畏怖も失われるかもしれないが、すくなくとも海が私たちの畏怖の対象となりつつある間、その海は海以上の海なのである。

奥村鼓太郎 (2022年10月16日(日))

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