ホーム 京大短歌について 歌会の記録 研究会の記録 一首評の記録 掲示板 リンク集

    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    

   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
歌会のお知らせ
☆2010年3月14日、京大短歌16号が完成いたしました。
今回は、企画として早稲田短歌会と合同で行った歌合せの記録を収録いたしました。学生短歌会の熱気が伝わるような内容になったと思います。
ご注文は、ページ左下のメールフォームより連絡をお願いします。折り返し、郵送方法などお知らせいたします。

☆7月の歌会

  7月9日(金)18:30〜 歌会@京大サロン


☆京大短歌では新会員を募集しています。
回生不問。大学院生や他大学生も歓迎です。

興味をもたれましたらトップページ左下の
「お問い合わせ」よりご連絡ください。
歌会の場所、形式などの質問も気軽にどうぞ。

飛び入り参加も可です。

☆会員による一首評を毎月1日と15日に定期更新しています。
いろいろな歌、そして歌へのまなざしをお届けできればと思います。

京大短歌16号
『京大短歌』16号 が完成しました。
15名の作品と早稲田短歌会を交えた学生短歌会合宿・歌合せの記録を収めています。
今月の一首評
直線を引き続けると前触れなく途中の道で日暮れに遭う
矢頭由衣 (連作「ヴォイド」)
梅雨に入りました。何日か前の新聞に書いてありましたが、からだにもカビが生えることがあるとか。なんとも恐ろしいですね。
 先日、京都の京大会館で『京大短歌』16号の批評会をささやかに行いました。OBの吉川宏志さん、棚木恒寿さん、西之原一貴さんにお越し頂き、お蔭様でとてもよい会となりました。その16号から一首。

 非常に私的な読みになってしまうのですが、この短歌には作中主体といいますか、作品の中の「わたし」がいないような気がします。
 白紙の上に鉛筆で線を引く光景でしょうか。別の筆記具かも知れませんが。作者は京都工芸繊維大学の大学院生で、連作のひとつ前の歌にはダダイスム、シュルレアリスムの芸術家であるマン・レイの名が出てきます。そこはかとなくアーティスティックな雰囲気が漂っています(書いていて、なんと頭の悪いセンテンスだろうと思いますが)。
 根拠はあまりはっきりとしませんが、こんな風に読めます。一本の腕と、その腕が握る鉛筆と、鉛筆がその上を滑っていく広大な紙が、映像としてカメラに映されている。もちろん引く人間(作中の「わたし」?)はちゃんと存在しているのですが、映像の中ではそのひとの人格は取沙汰されない。あくまでも純粋な直線運動を読者は目で追っていく。
短歌は「わたし」を描くものだという考え方が短歌の世界にはあると思いますが、この歌はたぶん、「わたし」ではなく「運動」を描いているのだと思います。
運動がある地点まできた時、唐突に日暮れのヴィジョンが出現する。天を焼く光のイメージでよいのでしょうか。あるいは映像に闇の帳がおりるイメージでしょうか。結句が字足らずなのですが、それが遭遇の唐突さを表現しています。
 面白いのは、「日暮れに遭う」のが――作中の「わたし」が不在であるため――、ダイレクトに読者自身だということです。読者は言葉というカメラを通して、線を引き続ける運動を眺めている。そして唐突なヴィジョンの襲来に、運動を見失う。
吉岡太朗

お問い合わせ サイトマップ