一首評〈第101回〉

トランプのどれか一枚なくなった途端残りも紙くずとなる
早川晃央 (「それだけのこと」/「コスモス」9月号)

 妙な魅力がある一首だと思った。
 なんというか連作の中でこの一首だけいい具合に浮いていた。「レモン団子」「福島泰樹」「岡田ジャパン」といった固有名詞が使われた歌が並ぶ中でこの一首だけ抽象度が高いのが原因か。
 たしかにトランプのゲームは一枚で手札の強さが変わるゲームが多い(例えばポーカーとか)。そういう意味では一枚なくなるだけで手札がダイヤモンドから紙くずに変わり果てることもある。ただ、この歌の魅力はこういった事実の発見にだけにあるわけではないと思う。
 この歌を最初に声に出して読んだとき、「途端」の部分で少し不思議な気分を味わった。まるでそれまで音読してきた5・7・5の部分を急にひっくり返すような気分。私が思ったのは、「トランプのどれか一枚なくなった」という事象は「途端」という時間に関する言葉によってより抽象度的なものに昇華しているのではないか。それに連動するように「紙くず」もただの「紙くず」ではなく、一度触れたら美しい流砂に変わってしまうような不安定な存在としての「紙くず」になっていると思う。

廣野翔一 (2011年5月1日(日))