一首評〈第131回〉

やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
与謝野晶子 『みだれ髪』

 テレビを見るのが好きだ。何気なく番組を見るのも好きだが、私はCMを見るのも好きだ。15秒間から長くても1分間でいかに視聴者の記憶に残りかつ購買意欲を高めるか、日夜熱戦が繰り広げられているCMというものが私は好きだ。そんなCMの中で最近もっとも心を引き付けられ、記憶に残っているのがTOYOTAのSAIという車のCMである。

 場面は夜。真木よう子さんが演じる、車の助手席に座る女が与謝野晶子の歌「やは肌のあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君」をつぶやき、運転席に座る男性のほうを向き「わかるでしょ?」という。女は心の声で(口説きなSAIっ……てこと)と言っているが男のほうはなにも言わない。その男の態度に、女は「いじわる」というのであった。かっこいいCMである。

 はじめてこの歌を文字で見たときは「道を説く君」とは一般の学者のような職についている人のことを指し、その人たちに対して「女性の恋に対する熱情に触れようともしないで、ただ道を説き続けるあなた方の生活はさみしくないのでしょうか」と少々皮肉気味に言っている歌なのではないかと思っていた。しかし、このCMを見た後では歌のとらえ方が変わったのである。

 「心の中でたぎっているあなたへの思いは熱を帯びた私の肌にあらわれていているのに、その肌に触れることもなくただ人の道を説き続けているあなたの生はさびしくはないのでしょうか」
 「やは肌」や「あつき血汐」のような肉体的でありどこか官能的な言葉の連続によって、女性の情熱的な恋愛の情が感じられる。特に「あつき血汐」は赤という色にしても、熱にしてもとても強い印象を与える語でありあかあかとした情熱的なイメージを与える。とても強い感情だ。そして「さびしからずや」と続く。さびしくはないのですか?と問いかけることで、遠回しではあるが主体である女性は男性の注意を自分へ向けさせようとしている。CMのように「口説きなさい」というまでの態度ではないと私には思われたが、主体が男性を慕っている様子から主体が男性に好意を持ってほしい、もっと近づいてほしいという願望を持っていることがうかがえる。

 この短歌について調べてみると過去に他の企業のCMでも使われていたようだ。強い感情を持つ歌はCMを印象付けるうえでよい役割をはたすのだろう。短歌とは異なる自分の好きなものからこうして短歌について考えるという機会を持てて私は嬉しく思う。

中澤詩風 (2013年10月14日(月))