一首評〈第30回〉

たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
河野裕子 森のやうに獣のやうに

 それは僕が確か小学生くらいの時のこと、担任の先生のもとにクラスの全員で校庭の落ち葉を集めて焚き火をするというようなことがありました。山のように積み上げた枯葉に芋を放り込んで着火! 枯れ葉が生乾きだったせいで煙でみんな泣き出してしまったとか、焚き火の中の焼き芋配分で紛争やら革命やらが起こったという、なんだか平和な時代でした。
 まあそれはそれとして。
 落ち葉っていうものはなかなか不思議なもので、外側の感触はガサガサと重たいような感じであるのに実際の重さはそんなものでもない、そういうなんだか矛盾めいた代物です。硬いくせして脆いし、嵩張るくせに全然重くないし。そのなんだか把握しづらいものを「さらっていけ」なんて痛烈な想いと組み合わせたところに、この歌の妙があるように思います。
 たぶん、この歌での「自分」は『正しいこと』と『望んでること』の狭間で苦しめられているのだろうと思います。正しいことの強さを知っていて、自分の望んでいることとの違いも知っていて、叶わないことを知っているからどこまでも自然に諦めている。うわ、かっこいい。
 だからこその「たとへば」であり、だからこそ、たとえ相手がどのような返事をしてきたとしても、自分の言葉を冗談だと一笑して否定の言葉を重ねるのでしょう。「たとえばの話だよ」、と。
 あるべくもない選択肢を望んでみせた歌。乾いたかっこよさを持っている歌。僕はこの歌に、どこかたまらない色気を感じます。

井上嵩浩 (2005年5月16日(月))