一首評〈第33回〉

青空のどこか壊れているらしく今日三度目の虹をくぐれり
佐藤りえ 『フラジャイル』

 7月に入る頃から、それまでの渇きを取り戻すようにたくさん雨が降った。夕立も多く、たいてい突然降り出して、気がつくと止んでいる。梅雨時の空はいつもどこか不安定で、油断がならない。
 青空が、見えないところで壊れているらしい。こぼれだしたのか作りだされたのか、大量発生した虹が、それもくぐれてしまうほど近くにある。淡々とした口調。虹をくぐるというおとぎ話のような行為が、門やアーチの下を通るのと大差ない、ごく普通のことのように思えてくる。それでもやはり、青空はどこか遠くで「壊れて」いるのだ。漠然とした不安感と、日に幾度となく現われる虹の輝きが、乾いた青空の下でふと混ざりあう。
 空は修復されてしまったのか、虹を出し尽くしてしまったのか、今年はまだ虹を見ていない。それでも梅雨は明け、いま、ゆっくりと夏休みが始まる。

東郷真波 (2005年7月15日(金))