一首評〈第35回〉

盛られ来し海老最期までプライドのありしと思う緋色の双葉
吉村千穂 京大短歌2005年5月25日歌会より

一読して「緋色の双葉」という表現の鮮やかさに目をうばわれる。
レストランで注文した海老(おそらくエビフライ)の尻尾だけが食べ残され、白い皿の上にぽつんとある。
その尻尾が「緋色の双葉」であるという発見に私は「やられた!」と思った。
見慣れたものがみごとに詩に姿を変えてしまったことに驚きを感じたのだ。

しかし、この歌の骨格をなしているのは「プライド」の一語ではないのだろうか。
海老の尻尾を双葉と見立て、そこにどんな意味を与えるか。そちらこそが歌の生命線であるはずなのだ。
この歌の中では「双葉」に「プライド」という意味が与えられている。
「プライド」という語は、必然的に選ばれたと錯覚してしまうほどに的確である。
だからこそ「緋色の双葉」という発見が説得力を持ってこちらに迫ってくるのだ。

觜本なつめ (2005年9月11日(日))