一首評〈第54回〉

「人生は苦しい」(たけし)「人生はなんと美しい」(故モーツァルト)
永井祐 連作「不敗神話」より

 たけしというのは、北野武(ビートたけし)氏のことでしょう。北野武とモーツァルト、二人の天才と呼ばれる人物の人生に対する考えを並べて引用したということです。モーツァルトのところにわざわざ「故」とつけていることから、これは現代と過去を比較した歌なのだと思われます。

 「苦しい」と「美しい」ということは、この歌は過去との比較によって現代を批判した歌なのでしょうか。違います。

 一個人の考えだけで時代を比較するのはあまりに乱暴です。それに特異な天才の考えを用いるのは不適切ですし、同じ国の人を使わないのもフェアとは言えません。

 これはもっと個人的な気持ちを歌った歌なのだと思います。

 どんな気持ちかと言いますと、「昔はいい時代だったんだなあ。こんな時代やだなあ。逃げ出したいなあ」という感情です。

 そんな気持ちがこの歌から読み取れるでしょうか。無理です。

 でもそれは作者がわざと隠しているからです。

 つまりこういうことです。作者は「モーツァルトの時代のヨーロッパにいってお貴族様か何かになって優雅に暮らしたいなあ」と思っている。しかし実際に願いは叶うわけがないし、叶ったとしてもその時代に適応できるわけがないことは分かっている。あまりに馬鹿馬鹿しい。そんなこと歌にしても仕方がない。でも歌にしたい。俺は表現したいんだ。

 その結果として、作者は有名人の言葉を引用するという回りくどい方法を用いたのです。ちょうど、子どもがゲームを買ってもらうのに「今日学校つまんなかったなー。みんな僕の持ってないゲームの話で盛り上がっててさ。あーあ、仲間外れだよ。やだなあ」などというのに近いといえば近いかも知れません。

 この回りくどさは実に人間的です。歌自体は引用を並べただけの機械的なものなのに、背後に人間的なものがあるとなると、「そうか、そうだよなあ。機械っていうのは人間が作ったものなんだよなあ」と思わずにはいられません。

 まあそれは冗談ですが、人間の複雑さが単純な文から読み取れる面白い歌だと思います。

吉岡太朗 (2006年8月15日(火))