一首評〈第88回〉

一心に糸を巻く夜 死ぬ時は胸のところが遠くなって死ぬ
盛田志保子 『木曜日』

まず思い浮かぶのは、黙々と糸車に向かって糸を紡いでいる女の姿である。「糸を巻く」は、あるいは釣りの場面でも用いられる言い方かもしれないが、やはり私は糸車の歌としてとりたい。『眠れる森の美女』に出てくるあの糸車だ。糸車にはつむ(糸を巻くための太い針状の鉄棒)が付いていて、ヒロインの王女はこの尖った付属具が指に刺さって死ぬという呪いをかけられる。その影響もあるだろうが、やはり糸車は不吉な感じのする機械だ。また、糸の紡ぎ手は女性と決まっている。女性が家の外に出ることのまだあまりなかった古い時代、諦めとも寂しさともつかない彼女たちの静謐な思いとともにどれほどの量の糸が紡がれたのだろうか。

さてこの歌では、読み手はまず二句目までで一度、「糸を巻く」という主体の動作を、自分の身体において追体験しなければならない。なぜなら「糸を巻く」という動作は自分の胸のあたりに糸を手繰り寄せるような手つきで行うからであり、その「胸のあたりに糸を手繰り寄せながら巻く」という動きのイメージを持って読み進めることによって三句目以降がより強い共感を持って感じられるからである。つまり、二句目までで自分の「胸」という場所への意識を「糸」と一緒に自分のほうへ手繰り寄せておいて、三句目以降でふっと「胸のところが遠くな」る感覚を味わうのである。実際、私はこの歌を読むたびに本当に「胸のところが遠くなって」しまって、もちろんまだ死んだことはないのだけれど、心が胸のところから身体を離れていくような、心が白紙になるような、妙なことになる。とにかく、すごい歌だと思った。そして私はやはり心は頭ではなくて胸にある気がして、だからいっそうこの歌に迫力を感じてしまうのかもしれない。

大森静佳 (2010年6月1日(火))